2回目の地震が本震。
前震とか本震とかいうことばすら知らなかった。
今まで震度7クラスの地震が2回続けてきたことはないし、こんなに長く余震が続くこともないという。
気象庁も、今後の予測は不可能とのこと。
熊本、さらには大分。
「もう1回大きいのがくるんじゃないか・・」
なんとなくそういう不安をかかえつつ、余震におびえる日々が始まった。
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私のバレー仲間や、子どもの友達の家族は、近くの小学校や中学校に避難している人がほとんどだった。
車中泊をしたい訳じゃないけど、体育館に入れずしょうがなくグランドで車中泊をする人もいた。
みんなが恐ろしいのが夜。
2度大きい地震がどちらも夜だったので、昼間は家に戻って片付けをして、また夜には避難所に行く人が多かった。
この記事を書いている今も大きく揺れた。
ほんとに怖い。
この地震はいつおさまってくれるのだろう。
私達は双子ちゃんがまだ9ヶ月なので、避難所へは行かず、ぎりぎりまでおばあちゃんの家のアパートで過ごすことにした。
自宅は2回目の地震でさらに瓦が落ち、家の外も中もあちこちヒビが入り、たんすは壊れ、いろんなものが落ち散乱していた。
片付けたいけど、長い間家にいると余震で家がつぶれるような気がしてきて、1時間以上いることはできなかった。
断水して3日目。
さすがにおばあちゃんの家での避難生活にも限界が出てきた。
離乳食はなんとかベビーフードを活用してできたけど、哺乳瓶を洗ったり、冷やしたりができない。できないことはないが、少ない限られた水でやるのは大変だった。
洗濯ができない。
お風呂にいれてあげれない。
「水がないというのはこんなに大変なことなんだ・・・」
私は車で1時間30分くらいの距離の実家にしばらく帰ることを考え始めた。
このままいても、どうにもならない・・。
ただ、熊本は断絶状態に近かった。
空港が閉鎖。高速道路も通行止め。新幹線も在来線もストップしたまま。
道路のいたるところが陥没したり、亀裂が走ったりして通行止めになっている。
さらに限られた一般道を使って、県外に行く人や、緊急支援の車両が入ってきたりなど、その混雑状況は計り知れなかった。
普段は1時間30分でいけるところだが、4時間も5時間もかかるかもしれない。
赤ちゃんを乗せて、もしそんな渋滞に巻き込まれてしまったら、どうしよう。
悩みに悩んだ。
でも、おばあちゃんの家のトイレ用にためておいた、お風呂の水がなくなった時、双子ちゃん達だけでなく、私や息子がこのままここにいては行けない気がしてきて、実家に行く事を決断した。
飲み水は給水所に行けば、分けてもらえた。
でも、それはあくまで飲料用。
お風呂や洗濯には使えない。
普通の家にいてもこんなに大変なのだから、避難所に行かざろえない、赤ちゃんを抱えた家庭はどれほど大変だろうと思う。
4日目の朝、子どもの朝食が終わると、荷物をまとめ、実家へ向かった。
地震後、車で外に出たのは初めてだったので、途中に現れる壁の崩壊や家の崩れ、道路の亀裂に改めて驚いた。
やはり渋滞していたけれど、それでも2時間ちょっとで実家にたどりつきほっとした。
本震の前に先に避難していた高校生の娘と再会した。双子ちゃん達を抱きしめる娘はほんとに嬉しそうだった。