熊本のどれほどの人が、この夜明けを待ちわびただろう。
それとともにうちのめされた現実。
明るくなって、家の様子を見に帰ると、いたるところに屋根瓦が落ち散乱している。
家の中は、昨日夜中家を飛び出した時とはさほど変わらず、少し安心した。
ただ壁 のヒビや一部剥がれ落ちているところが気になった。
近くの神社もいくつか石碑などが倒れていて、立入禁止のロープが張られた。
「この家大丈夫かな?地震保険でなんとかなるのかな?」
そんな不安を抱えて、いったん、子ども達が待つアパートに戻った。
テレビに映る熊本の姿は、信じられないものばかり。
家が倒壊し、熊本城の瓦が落ち、長塀は崩れ、道路に亀裂が入り・・・。
お昼になり、おばあちゃんに双子を見てもらい、買物に出かけたが、周辺で開いているお店は一軒だけだった。
15日の午前中、電気もガスも水道も大丈夫だったが、午後急に水が出なくなったので、焦って水を探したが、なかった。
諦めて帰りかけた時、1人1ケース限定で水が入荷したと聞き、急いでそのケースを抱え、またレジの長い列に並ぶ。
水を少し確保できたことで少し安心した。
大人だけならなんとか我慢できる部分はある。
でも赤ちゃんはそうはいかない。
最初の地震に、まだ熊本の人達は立ち向かう気迫を見せていたように感じた。
知人の飲食店も倒れた冷蔵庫、割れた食器などを片付ければ、1週間位でなんとか営業再開しようとしていたし、周りのスーパーも翌日にはオープンできるよう準備をしていた。
我が家の、午後止まった水道も夜の8時には突然出だしたので、安心した。
ひどいありさまの熊本だったが、余震は次第におさまり、徐々に復興していくしかないと思えた。
子どもと相談し、念のため、今日の夜までおばあちゃんちのアパートで寝ようということになった。
車も余震でさらに瓦が落ちてきては、やられるので、離れた駐車場に移動しておいた。
水道は出たけど、念のため、お風呂に水をためた。
全ては、「念のため」。
気象庁も、昨日と同等の大きな地震が1週間以内におこる確立は、20%だと発表した。
私たちには、その20%という確立はとても低いもののように感じた。
その夜は、昨日起こった地震のことと、熊本の混乱を家族で話しながら、「それにしても、えらく静かで怖いね。あんなに続いていた余震もぱったり止んで。そのうち、大っきいのがドカンときたりして!」なんて冗談を言っていた。
家族みんなが昨日の夜の地震で寝不足で、0時前には、みんなが強い睡魔に襲われ寝てしまった。
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私も双子ちゃんの横でいつのまにか、爆睡していた。
ものすごい揺れにきづいたのは、夜中の1時30分近く。隣で寝ていた双子のNちゃんがけたたましく泣いている。
頭の上には室内に飾ってあったサボテンの植木鉢が落ちて割れている。
Nちゃんに当たったのか!?
停電になり、電気はつかない。
真っ暗ななか、ものすごい揺れが続く。
恐怖で身動きがとれない。
泣くNちゃんを抱きしめ、揺れがおさまるのを待った。
しばらくしてKくんも起きてきた。
明らかに、昨日の地震より強く長く感じた。
冗談で言ってたことが本当になった。
「まさか、こんなことが・・」
電気は、1時間くらいで復旧した。
幸い、Nちゃんの顔に植木鉢は直撃はしていなかったようだ。
植木鉢を昨日の地震のあと、もう大丈夫だろうとおばあちゃんが元の場所に戻してしまっていたのを、しきりに謝ってこられた。
また、水が出なくなった。
激しい余震が続いた。
昨日、避難してた人も一度家に戻った人もいるだろう。
震度7の地震が2度、どちらも夜に襲ってきた恐怖。
私たちは、打ちのめされてしまった。