前震のあとすぐに実家に先に避難していた高校生のお姉ちゃんは、友達がみんな熊本で被災し大変な思いをしているのに、自分だけお風呂に入れたり、普通に食事できたりすることにとても罪悪感を感じていた。
なので、2日間は私達と一緒にいたけど、まだ水も出てない熊本に帰ると言い出した。
自分の高校も避難先なっているので、そこでボランティア活動をしたり、困っている友達に物資を届けたいという。
在来線がなんとか動き始めた日だったので、とりあえず駅に送っていったけれど、何時間も待って乗れるかどうかも分からないと連絡がきたので、再度ピックアップして結局は車で熊本まで送っていった。
やはりあちこち渋滞していた。
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主人は仕事の関係上、家を離れることはできず、1人でずっと家にいた。
食事の時だけおばあちゃんのアパートに行っていた。
高校生の息子も5日間ほど一緒にいて、双子ちゃんのお世話を手伝ってくれたけれど、いったん学校に行かなければならず熊本に帰ることになった。
この頃には在来線もかなり復旧していたので列車で帰ることができた。
高校生の娘と息子の世話は、熊本のおばあちゃんにまかせるしかなかった。
家族はばらばらに生活するしかなかった。
言いようもない寂しさがこみ上げてきた。
熊本では、まだ水は出てないので、お風呂は遠くの温泉などに2日に1回入りに行ったりしていたようだ。
でも何時間もならばなければならなかったり、かなり大変そうだった。
洗濯物もコインランドリーをあちこち回り、1時間以上待ってやっとできる状態。
食事も洗い物を避けるため、紙皿など使い、あまり調理をしなくてすむ料理になってしまう。野菜は洗わないといけないので、出番が極端に少なくなるという。
野菜不足を気にした私は、実家で大量の野菜を洗い、カットして袋に詰め込み、熊本に一度運んだ。
私とずっと一緒にいる双子ちゃん達も家に全く帰らず、アパートやら実家やらを転々とし、きっと不自然さを感じているだろうと思った。
お父さんにもずっと会えず、お姉ちゃん、お兄ちゃんもいなくなってさびしい思いをしているのではないかと心配した。
それでも、私の妹が貸してくれた歩行器に乗って実家の父と母に満面の笑みを見せてくれる2人。
震災後、私だけでなく、周りにいる家族全員が何度この2人の笑顔に救われてきただろう。
大人だけだったら、暗く深刻になりそうな日々。
余震がおさまらない日々にも、この双子ちゃん達の生きるエネルギーと笑顔に元気づけられる。
私も落ち込んではいられなかった。
この2人にいつもどおりの笑顔を見せ、いつもどおり食事を与え、お風呂に入れてあげること。
それを必死に考えることで地震に立ち向かえた。
毎朝主人に送るメール。
「昨日も揺れた?今日、水出た?」
返信内容はほとんど一緒。
「かなり揺れたよ。水はまだ出ない。」
そうして実家に来て10日経ったころ、ようやく水が出始めたとの連絡が!
「やっと熊本に戻れる!家族が一緒になれる!」という思いと、「また余震に怯えなきゃいけない、怖い。壊れた家をどうしていこう、これからどうなるのだろう」という現実への不安が混在した。
10日間の実家での避難生活は、熊本で避難所で生活している方に比べたら贅沢なものだったのかもしれない。
でも、家族がバラバラになり、また実家の親や自分のきょうだいにも迷惑をかけてしまった。
自分の誕生日もこの間に迎えた。
熊本にいる子ども達が「お誕生日おめでとう」のメッセージをラインでくれた。
実家の母がお誕生日ケーキ代わりに買ってきてくれたパン。
忘れられない誕生日。
さあ、熊本に戻り現実と向き合い生活を立て直そう!
そう心に誓って熊本に戻ったが、現実は甘くなかった。