呉市の8ヶ月の乳児が衰弱死した事件。
わが子は生後7ヶ月。ほぼ同年齢。
赤ちゃんの気持ちを考えると涙が止まらない。
「なんとかならなかったのだろうか?」
もし両親が子どもを育てることができなかったとしても、その子どもを救う術はなかったのだろうか?
わが家の双子の体重はNちゃんが11キロくらいで、ダウン症のKくんでも8キロほど。
亡くなった子どもは4キロくらいしかなくて、あばら骨が浮きでるほどだったとか。
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「生活が困窮している」と両親は市に訴えていたという。
それぞれの家庭のことはほんとに分からない。
それでも、やはり親になったら、自分は食べれなくても子どもには食べさせなくてはならないという気持ちがなくてはならないと思っている。
親が食べれなくて死んじゃったら、だめなんだけど。
でも、自分より先に子どもに食べさせなきゃと思うのが親だと思う。
でも全ての親が、そんな気持ちを持てないのだとしたら。
なんだか「核家族化」の恐ろしさも感じる。
親として経済的にも精神的にもまだまだ未熟でも、昔だったらおじいちゃん、おばあちゃんも一緒に住んでいて、なんとかフォローできたんじゃないかとか、近所のおばちゃん、おじちゃんたちも、何も知らないということはなかったんじゃないかとか。
「核家族化」がますます進み、親戚、近所とのわずらわしい「お付き合い」がなくなれば本人達は楽かもしれないけれど、何か抱え切れない問題を抱えてしまったときの助け船がなくなる。
私の子育ては、情けないほど甘えん坊かもしれない。
何かあれば、すぐ近くのおじいちゃん、おばあちゃんに相談したり、預けたり。
毎日夕飯作るのも大変なので、2~3日に1回はおばあちゃん達の家に行って食べているし。
上の子ども達の子育てのときからずっとそうで、もう17年続けている。
「自立してない」といわれたら、それまでかもしれないけれど、私は子どものためにもそれでいいと思っている。
逆におじいちゃんやおばあちゃんの困ったことがあれば、私のできることは精一杯助けたいと思ってやっている。
でもやはり子どもは両親だけでは育てられないと思う。ほんとに大変だから。
子どもは家族で、親戚で、地域で、社会全体で育てていかなければならない。
Kくんは、ダウン症だけれども、寝返りに意欲を燃やし、褒めてあげると、とっても嬉しそうに笑う。逆に離乳食を無理に食べさせようとすると嫌がって怒る。
Nちゃんはなぜか寝返りをしたがらず、逆に離乳食はどんどん進み、もぐもぐ何でもよく食べる。
2人とも発達にそれぞれ差はあるけれど、一生懸命に生きようとして、感情もある。立派な一人の人間だ。人格をもっている。
亡くなった8ヶ月の赤ちゃんが、自分が弱っていくなかでどんな思い、どんな苦しみを感じてたかと思うと耐えられない。
呉市の担当者の方が、訪問はしていたというが、この子どもを救うことはできなかった。
でも、こういう状態の子どもを救ってあげられる世の中にしなければ、こういう子どもは今からも出てくるのではないかと思う。
テレビでは、市の職員と医療関係者が連携をとっていくなどの提案もされていた。
親も、もっと助けが必要なときは声をあげ、その声が届かなくても公的な力でなんとか子どもの命だけでも救ってあげられるチェック体制がとれないものか。
いたたまれない気持ち。